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子安地蔵寺(こやすじぞうじ)は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗の寺院。山号は易産山(いさんざん)。「ふじ[要曖昧さ回避]の寺」として知られる。

歴史
伝承によれば、天平9年(737年)の春、行基の開基で、本尊の地蔵菩薩も行基が自ら刻み、女人安産守護のために安置したという。

天正9年(1581年)織田信長、織田信孝による高野攻め(紀州征伐)の時兵火にあい、地蔵堂は焼失したが、本尊は人里離れた山中に難をのがれたのを村人によって発見された。その地を"かくれがた"と名づけられている。

その後、紀州徳川家の祖・徳川頼宣(南龍公)によって地蔵菩薩を安置する堂が建立され、正保5年(1648年)田園2町歩が本尊香花の費として供養され、頼宣は11回に亘って参詣した。